退職致しました。

【ご報告】
皆さまにご報告がございます。

この度私事ではございますが、コーヒービーン&ティーリーフを運営しておりました株式会社ホットランドを2021年4月22日をもちまして退職致しました。
在職中は一方ならぬご支援ご協力を頂き、本当にありがとうございました。

私が従事しておりましたコーヒービーン&ティーリーフは2015年に東京日本橋に上陸後、最大14店舗まで店舗を拡大致しましたが、2021年4月の段階で栃木県佐野市の1店舗のみとなってしまいました。

皆さまからの厚いご支援を頂いたにも関わらず力を尽し切れず、本当に申し訳ありません。深くお詫び申し上げます。

今後に関してですが、一度コーヒーの世界から離れ、
今月下旬から半年ほど北海道の利尻島に行って参ります。利尻島のホテルで働きながら、ゆっくりと利尻島の自然を満喫して来たいと思います。

これまで不甲斐ない私を支えて頂き、本当にありがとうございました。

〜個人の経験がお金になる時代へ〜

日本のある大企業幹部が、「終身雇用を守るのは難しい」という発言を行った。それは結局「社としては終身雇用を行えない」「社としては終身雇用を保証することは出来ない」という意味と同じことだ。このことはこれまでの日本の組織慣例から考えるととんでもないことである。

しかし、よく考えれば(よく考えなくても)このことはある意味当然のことであり、正常な社会へ戻ることであるように思う。

いささか日本人は他者に依存しながら生きようとする傾向が強い国民であると私には見受けられるが、この「終身雇用制度」もまた、労働者側から見た場合「会社に依存している状態」と見ることが出来るように思う。

それは結局のところ、労働者側の「甘え」である。と同時にせっかくの自分自身の人生の時間を自ら放棄し、あらゆる可能性を閉ざしてしまったような状況だとも言える。20歳そこそこの社会経験もない状態で入った会社やあるいは職種に、40歳や50歳にもなってしがみつく必要なんて、全くない。

そのような慣習や構造が、ようやく壊れ始めようとしている。いや、もはや壊れているのだろう。

組織が個人を守ってくれなくなった反面、個人がしっかりしなくてはいけない時代になったとも言える。昭和の時代であれば文句を言わず黙々と会社に通っていれば自動的に給与が入ってきたが、これからの時代は自らの能力や自らの興味関心を伸ばしていかなければそう易々とお金を稼ぐことは出来なくなったのだ。

会社内で自らの能力を発揮し給与水準を上げていくことももちろんであるが、いわゆる会社外での収入や、社会・周囲の人への貢献をしていかなければ自らの生きる環境を作り出すことは難しい時代にますます入っていくように感じられる。いわゆる現代でいう「副業」である。むしろこれからの時代はこれまで「副」であったことが「主」になり、「副」であったものが「主」になるかもしれない。さらにいうと、そのような括り方そのものも消滅してしまう世の中になる可能性だってある。私自身は、そのような社会になればよいと心から思うが。いつの時代だって、人の生き方というものは自由なのだ。

そのように考えると、まだ珍しがられている傾向のあるYouTuberやインスタグラマー、ブロガーなどという職種は、これからの時代の働き方の大きなモデルを示している姿であるような気がする。昭和の時代であれば見向きもされなかった(本来は見向きもするほど価値のあることなのであるが)個人個人の毎日の経験や体験が、そっくりそのままお金になるのである。

ここで重要なことは、その人自身の「好きなこと」や「得意なこと」、「興味のあること」が「収入にそのまま結びつく」ということである。

語弊があるとは思うが、「工場の中でお弁当にお醤油を入れる仕事」というものは、本質的な部分においてその人自身の個性や能力、興味関心が反映されている仕事だとは正直言いづらい。

人間という存在を価値ある存在だと認識し、その人自身の個性や能力を発揮させ、向上させていくことが重要だと考える方がより豊かな社会になると考えた場合(そこの価値観が最初からズレていれば両者が折り合うにはさらに時間が掛かるであろうが)、さきほど挙げたようないわゆる“作業”に該当するような仕事はAIに任せるべきである。

これまでの社会においてはもちろん「お弁当にお醤油を入れる仕事」は必要であっただろう。しかし、高度な頭脳を持ったわれわれ人類の先輩たちや仲間がその頭脳を駆使し、ロボットを作ってくれた。その能力を我々はフルに使っていく時代に突入しており、そしてそれによって生まれた時間や可能性を、その人自らの可能性に使っていく時代に突入しているように思われる。

「AIの時代」とはつまりそういうことであり、その重要性や必要性を主張している人たちの本質的な意味は、そのような所にあるのではないかと思う。

隷属的な生き方ではなく自立した生き方の時代へ。

より人類は自らが生きやすい時代へ進んでいるように思われる。100年後、200年後を生きる仲間たちが私たちを“歴史的に”見た場合、令和を迎えた現代はエポックメイキングな時代であったと、そう見えるのかもしれない。まさに現代は「進化」の時代である。