常に発信者であれ。

世の中を変えるのは、いつの時代も発信者だ。例えそれが自分の自宅の隣に住む人ひとりだけに伝えるだけであったとしても、その人に伝えなければ永遠に世界は変わらない。自分の部屋でたったひとり考え事をしていても、世の中は1mmたりとも変わらないのだ。それが黒人差別撤廃の主張だとしても、それが月に到達するための素晴らしい科学的アイデアであったとしても、それがオシャレな写真を共有し合う新しいサービスのヒラメキだったとしても、自分の中だけで閉じ込めてしまっていては、この世界は何も変わらない。

黒人差別を撤廃し、民主主義を根付かせ、ロケットで月に行ったのも、全てはどこかのひとりから始まった。そのどこかのひとりがいなければ、もしかしたら世界はまだ原始時代だったかもしれない。

あなたの知識や考えをあなただけのものにせず、あなたの経験をあなただけのものにせず、あなたが見た世界を映し出す写真や動画をあなただけのものにせず、世界の全ての人々と共有し、そして新たな世界を創る。それは紛れもなく世界の進歩であり、人類の進歩である。

クローズドな世界ではなく、よりオープンな世界へ。あなたの経験はこれまでの人類においてあなただけにしか存在しないものなのだ。果てしない数の人類がこれまで存在して来たが、あなたと寸分違わず同じ経験をして来た人は100%存在しない。これは確実に存在しない。そして未来にも永遠にあなたと同じ経験をする人は現れない。あなたは、100%オリジナルなのである。オリジナルだからこそ価値がある。存在しているだけで価値があるのである。

あなたのひと言が、世界を変えるかもしれない。あなたの一枚の写真が、世界を変えるかもしれない。

政治家だけが世の中を変える時代は、もう終わった。写真家だけが世界を伝える時代は、もう終わった。

これからの新しい時代は、あなたが世界を変えるのだ。

新型コロナウイルスに感染しました【最終章】

【現状の日本で我々が出来ること】
とは言え、自宅療養の手段を取らざるを得ない状況は、新型コロナウイルス感染症が依然極めて深刻な状況にあり、我々の生命や日常生活を脅かす極めて脅威となる感染症であることの証明でもあります。

病床の不足、コロナ対応可能な医師看護師の不足、必要な医療器具の不足、離島・へき地の医療体制の脆弱性などの問題がありますが、それら日本の医療を逼迫させている現状を解決して行くために、では我々が出来ることは一体何なのでしょうか?

それはやはり「自分自身が新型コロナウイルスに感染しないこと」しかないのだと思います。

それはつまり、いわゆる人流抑制策を我々自身が”主体的に”行なって行くしか方法はないということです。端的に言うと、「人に会わない」ということ。

極力人には会わない、極力外食は控える、極力街中には出ない等のいわゆる人流抑制策しか、我々が感染者数を減らすための行動として出来ることはないのではないでしょうか。

「政府がしっかりと対策を講じないのが悪いのだ」という問題と、「だから俺は政府が求める行動には応じない」という態度は、本来全く別の問題であり、理論が崩壊している態度です。

「政府がしっかりと対策を講じない」と感じていたとしても、「自分が感染したり他の人に感染させないために行動を抑制する」というのが本来のあり方ではないでしょうか。

感染者数は比較にならないほど昨年より増えているのに、どうも最近の風潮は「何でもかんでも政府のせいにして、それを理由に自身の行動を緩めている」方が増えているような気がします。

もし「政府や政治家の対策が悪い」というのであれば、それを変える絶好の機会(衆議院選挙)が今年の11月末までに必ずやって来ます。政治家を選んでいるのは我々です。「政治家が悪い」と言うことは、つまり「自分が悪い」と言っていることと同じです。人のせいにしている限り、自分の人生や社会が変わることはないでしょう。

困窮する飲食店や旅行会社、生活に困っている人たちに手厚い保護を行なうことが必要だと考えるなら、それを政策に掲げる政党や候補者に投票すればいいだけの話です(僕自身がそのような政策を支持しているという意味ではありません)。

【最後に】
「緊急事態宣言ってもう飽きたよね」っていう言葉や認識は、やはり認識としては甘いのだと思います。

政府が発出している通り、
「現在の日本は緊急事態にある」。
これが正しい認識ではないでしょうか。

1日も早く新型コロナウイルス感染症が終息することを切に願います。

みなさん、最後になりますが、もう一度。
本当に新型コロナウイルスの感染には気をつけて下さいね。しんどい思いをするのは自分自身です。

新型コロナウイルスに感染しました【第四部】

【宿泊療養施設退所後】
一定の基準を満たしているため宿泊療養施設を退所することは出来ましたが(退所にあたりPCR検査を再度受診する必要はありませんでした)、体調自体は退所日当日でもすこぶる悪く、石垣島のフェリーターミナルへ歩いて向かうのも非常にしんどかったです。「コロナ感染が疑われる場合は公共交通機関を利用してはいけない」となっていますが(感染防止のためそれは確かに正しいのですが)、正直自力で病院まで行けというのはかなり酷な気がします。

石垣島の宿泊療養施設から西表島の自宅に戻ったあとも、帰宅後数日はまだまだ1日中ベッドの上。リハビリを兼ねて自宅の周りを30分くらい散歩しましたが、すぐに息が切れ、体はしんどさで一杯。自分でもびっくりするぐらい体力が落ちていました。

結局、発症から完全に体調が回復するまでには3週間ほどの時間を要しました。

【感染経路】
僕がどこで感染し、誰から感染したのかは全くもって不明です。僕の周囲には誰も発症者はいません。

西表島島内から陽性の方が何人か出ているため、その方々から感染した可能性はありますが、その場合どのような経路で感染したのかは分かりません。

無症状感染の方からウイルスを貰った可能性もありますが、一方の人は無症状で終わり、他方の人は有症状はなるその差は何なのでしょうか?やはりその人個人のその当時の免疫力や体力の低下が原因なのでしょうか?

【解決すべき問題】
僕自身が新型コロナウイルスに感染し、実感として感じた問題。それはやはり自宅療養者の方々の対処の問題、そのように感じます。つまり、さらなる医療体制の整備が絶対的に必要であるということです。

「非常にしんどかった」と自分自身の症状について実感としては感じますが、客観的に見ると僕自身の症状はおそらくまだマシな方なのだと思います。宿泊療養施設に入所出来ただけでも有り難いことなのでしょう。

テレビなどの報道を見ると、本当に悲惨な状態で自宅療養を強いられている方が数多くいらっしゃいます。
僕自身が自宅で1日中苦しんでいた時のことを想像すると、そのような方を拝見する度に胸が痛みます。

そもそも「自宅療養」とは名ばかりで、実態は「放置」と言ってよい状態でしょう。医学の素人である我々に自宅で「療養」など出来るはずがありません。

近くにお医者様や看護師さんがいない、つまり病状が急変してもすぐに対応して貰えないという状況も患者にとっては非常に精神的にきつい状態です。僕自身も実際にそうでした。真っ暗で静かな真夜中に目が覚め、ただでさえ精神的にも肉体的に弱っている状態で「急変し呼吸困難になったらどうしよう・・・」という恐怖を覚えることは実に堪え難いものがあります。

現状の医療体制では全ての発症者に満足の行く対応は出来ないということは十分分かりますが、少なくとも自宅療養という手段(個人的には医療の放棄だと思います)だけはその対応方法から完全に無くして欲しいように思います。

新型コロナウイルスに感染しました【第三部】

【新型コロナウイルス陽性判明】
そのような流れで石垣島に渡り、石垣島の病院でドライブスルー型PCR検査を受診。僕の場合は「医師が新型コロナウイルスの可能性があると判断した場合のPCR検査」というものに分類されるようでした。

PCR検査受診後は検査結果が判明するまで竹富町が用意して下さった宿泊療養施設で待機することに。食事や飲み物は竹富町の方が僕の希望したものを希望通りに用意して下さいました(費用は全て公費負担。陽性判明以前だったので竹富町が負担して下さったのだと思います。困ったことや必要なものがあれば何でも言って下さいと仰って下さり、非常に優しい対応をして下さいました)

そして検査から4時間後、新型コロナウイルスの陽性が判明しました。

陽性判明後は保健所の方と複数回電話。濃厚接触者の特定作業や僕自身の行動追跡作業などが行われました。

【病院受診〜宿泊療養施設へ】
陽性が判明した翌日、PCR検査を受診した別の病院を受診。受診の結果「軽症」と診断され、前日に宿泊した施設とは別の宿泊療養施設(沖縄県がコロナ対応のため借り上げた「アパホテル石垣島」)に入ることになりました。ちなみに、「軽症」という分類にはなりますが、僕個人の体感としては全く「軽症」ではありません。その語感に惑わされない方が賢明かと思います。

宿泊療養施設では1日3回の体調報告を保健所に行ない、1日1回は必ず看護師さんとのテレビ電話での体調確認が実施されました。オキシメーター(酸素濃度計)での酸素濃度確認も1日3回は必ず報告。酸素濃度が非常に気になり不安になるため、実際には24時間時間を問わず何度も自分で確認しました。

宿泊療養施設に入所したのは発症から1週間経過した頃。症状は依然38℃台の発熱があり、全身の倦怠感や筋肉の痛みは全く引きません。高熱の状態が1週間続き、また食欲絶不振のため体力も低下。上半身・下半身の筋肉や脂肪がげっそり落ちてしまいました。

【宿泊療養施設退所】
宿泊療養施設に入り2日後、ようやく発熱は落ち着きを見せ始め37.5℃〜37℃台前半ぐらいまで下降。その後37℃〜36.5℃ぐらいの間で安定するようになり、「療養所退所基準となる体温が72時間連続で維持」され、かつ「発症から10日以上経過」したため宿泊療養施設を退所する判断と隔離解除の判断が保健所から下りました。
結局、宿泊療養施設には5日間入所していました。

新型コロナウイルスに感染しました【第二部】

【西表島で初診を受診】
そんな心境の中初診を受診しましたが、「もう数日様子をみてみましょう。あと数日発熱が続くようでしたら連絡を下さい」とのお話になり、その日は解熱剤を処方されただけで帰宅。(これは①PCR検査は石垣島でしか受けられない②さらに石垣島でPCR検査を実施している病院は平日しか検査を行なっていない(僕自身は金曜日に初診を受診)という西表島特有の事情もあったためで(西表島だけではなく八重山諸島全体の問題でもあり、また全国の離島における問題でもあります)、初診の先生や病院に不作為があったという訳ではありません。初診の先生は非常に熱心に対応をして下さり、本当に熱心に体調を気遣って下さいました)

週が明けた月曜日、高熱が下がらず体の倦怠感や痛みも治まらないため、その旨を初診の病院に連絡。体の状態を伝えると「すぐにPCR検査を受けましょう」となり、その日の内に石垣島でPCR検査を受診するという流れになりました。

【PCR検査などの手配に関し】
PCR検査の手配や竹富町への連絡は全て西表島の初診の先生が行なって下さり、また西表島から石垣島へのフェリー会社への連絡も竹富町の方が連絡をして下さいました(発熱があると本来は乗船出来ません。他のお客様と接することのない隔離された部屋に乗船させて下さいました)。
さらに、石垣島のフェリーターミナルからPCR検査の受診病院までは竹富町の方が車で送って下さり、手厚く対応をして下さり大変感謝をしております。

ただ、自宅から西表島の港までは自力で歩いて行かなければならず、徒歩30分の距離を体調絶不調の中、しかも気温が高い中歩いて行かなければならない状況はなかなか死ぬ思いでした。

新型コロナウイルスに感染しました【第一部】

私ごとですが8月の中旬に新型コロナウイルスに感染を致しました。

まずひとこと。
新型コロナウイルスに感染すると、本当に本当にしんどいので、みなさんくれぐれも感染にはお気をつけ下さい。

これまで大きな病気をしたり、風邪もほとんど引かなかったということはありますが、人生でいちばんしんどい思いを今回致しました。

長くなりますが、みなさんにとって何らかの参考になれば、また周囲の方に新型コロナウイルスの恐ろしさを伝えなければならないという半ば義務感のもと、こちらに詳細を記します。

【発症症状】
発症後の症状としては、38℃台の発熱が10日間ほど続き、全身の倦怠感、筋肉の痛み(特に腕と太もも付近)、吐き気といったものがありました。発熱は最高で38.9℃でしたが、解熱剤を飲まなければ下がりませんでした。高熱を出す日が連続して何日も続いたため、中等症へ移行し肺炎を発症させる可能性があることを先生に伝えられましたが、幸い肺炎は発症させずには済みました。

よく言われる嗅覚や味覚の異常、せき、頭痛、鼻水などの症状は全くなく、新型コロナウイルスに感染しても、発症する症状やその程度は人それぞれのようです。

【新型コロナウイルス陽性判明以前】
発症初日や2日目はまさかコロナ感染とは思わず、冷房病(昔から冷房に弱いため)や自律神経の乱れ、あるいは夏風邪だろうかと、そんな風に考えていました。そのため、発症後数日は自宅で体調の様子をみていました。(これは完全な失敗で発熱当日にすぐ島の診療所に連絡をすべきでした)

さすがに高熱が続くため、西表島の診療所に発熱がある旨や症状を電話連絡。(ちなみに西表島に病院はなく、医師一人看護師一人事務員一人の小さい診療所が2つあるだけです。全く医療施設がない離島も八重山諸島内にはあり(全国には数多くの同様な離島・へき地が存在するのでしょう)、近くに病院があるということは非常にありがたいことだと実感しました)

この頃になるとコロナ感染の可能性も自分の中で考え始め、「もしかしたら命を失うこともあるかもしれない」と、命の覚悟も致しました。命の覚悟を本当の意味でしたのは人生で初めてです。

続きは、第二部に綴ります。

長文をお読み頂き、ありがとうございました。

大先輩のような人になりたい。

先日、尊敬するコーヒーの大先輩から嬉しいメッセージを頂きました。

先月下旬に閉店した神保町の洋食屋さん「キッチン南海」。閉店間際に僕自身も何度か訪れた洋食屋さんですが、その際には僕もFacebookで投稿をさせて頂きました。

その尊敬するコーヒーの大先輩が、なんとその際の僕の投稿がきっかけとなり、滑り込みセーフでキッチン南海を訪れることが出来たそうなのです。

大先輩は学生時代によくキッチン南海に通われたとのことで、キッチン南海の洋食が本当に想い出深い味だったとのお話でした。大先輩がお店を訪れた際、ちょうどその日のランチが大先輩の順番で終了だったようです。

「陽さんありがとう!」と、そのことをお忙しい中わざわざメッセージを下さる大先輩のお姿に、逆に僕が感動をし、さすが大先輩。大先輩のような人にならないといけないな!と深く感じ入りました。

人から慕われたり人望のある方というのは、そうした少しの気遣いが出来る方なのだろうなと思います。
「わざわざそこまでしなくてもいいのに・・・」という積み重ねが(多くの人はそれが出来ないからこそ)、その人を慕い、その人を愛する方がたくさん出来るのだろうなと思います。

大先輩のあとを追いかけ、僕も頑張ります!
大先輩!メッセージありがとうございました!

寄り道

目的地のひとつ手前の駅で降りてみる。そして、そこから目的地の駅までてくてく歩いてみる。それだけで、もしかしたら人生は大きく変わるかもしれない。

結局人生は、新しい経験を、つまり新しいチャレンジをどれだけたくさん出来たか、ということであるように思う。毎日同じ道を通り、毎日同じ電車に乗り、毎日同じランチを食べ、毎日同じ音楽を聴き、毎日同じ雑誌を読む。これではなかなか正直進歩は見込めない。ちょっとしたことでもいいので、前の日とは違うことをしてみる。例えば昨日はコーラだったけど、今日はオランジーナ。例えば昨日は綾鷹だったけど、今日はお〜いお茶。そんなほんの小さなことでも何か新しい発見や気づきがあるかもしれない。ひょっとしたらそんな小さな発見が大きなアイデアのきっかけになることだってあるだろう。

何せ、世界は自分が知らないことばかりで成り立っている。人ひとりの短い人生の中で、全てを知り尽くすことなんて到底出来ないことだ。だからこそ、毎日違う街に行き、毎日違うものを食べ、毎日違う人に会い、毎日違う経験をする。人間は、放っておくとすぐに居心地のいいコンフォートゾーンに留まろうとする。意識的にそこから脱しなければ。

いつものカフェに行くのももちろんいいけれど、やっぱり知らない街の知らない人がやっている知らないカフェに行くってことはとっても大切。もしかしたら明日行く新しいカフェのオーナーは世界で一番あなたと相性が合う人かもしれないし、もしかしたら将来のお嫁さんや旦那さんかもしれない。あなたの口に合う1番のコーヒーに出会うかもしれない。もしかしたらあなたの人生を変えてしまうくらいのインパクトを与えてくれるかもしれない。人生は、いつだって可能性に満ち溢れている。

人生には、寄り道が必要だ。寄り道が新しいあなたを創る。さあ!明日も、大いなる寄り道をしよう!

写真は、ふっと目的地手前の湘南海岸公園駅で降りてみたら出会った、Goodman Coffeeさんのコーヒー。そしてバックにはThe 湘南な感じのサーファーさんおふたり♡

〜共に食事を楽しみ、共にお茶を楽しむことの重要性〜

日本は、そして世界は、まさに非常事態な真っ只中にいる。

人は自由を奪われ、友や家族にさえ会うことすら躊躇する。

こんな非常事態だからこそ、これまで何も疑問を持たず、当たり前のように営んできた事柄が、本当はとてもありがたかったのだと、再認識している。

人にとって、共に食事を楽しむことがどれだけ大切なことなのか。共にお茶を楽しむことがどれだけ大切なことなのか。

確かに、毎日朝起きて職場に行き仕事をし、夜自宅に帰りお風呂に入り就寝する。人が単に生きていくだけであればこの繰り返しで命は繋いで行けるだろう。

だがしかし、そんな人生を誰も望んではいない。

共に食事を楽しみ、共にお茶を楽しむことで生きる楽しさを見つけ、明日からまた頑張ろうと思える。むしろ、そういった時間があるからこそ人生という時間を過ごして行ける。

行きたいお店にも行けず、会いたい人にも会えず、行きたい場所にも行けない不自由さ。

コロナウイルスは確かに厄介過ぎる問題を人類にもたらしたが、反面人の人生にとって何が大切かを再認識させてくれる貴重な存在でもあるのかもしれない。

いや、絶対にそのような存在にさせなければ、今起きている問題は、本当に無駄な徒労に終わってしまう。

今回の問題を出発とし、新たな道を歩み出さなければならないような気がする。

2020年のもうひとつのテーマ

先日2020年のテーマを「忍」としましたが、それと並んでもう一つのテーマを「深」としました。

これまで学んできた知識をさらに深める。
これまで培って来た人間関係をさらに深める。
これまで浅い知識に留まっていた分野の知識をさらに深める。

そんな意味合いの「深」。深く耕す、の深でもあります。

さらっと流し読みしていた雑誌の記事も、時間をかけて深く読む。本に書かれている言葉や人の言葉をじっくり深く聞き取ろうとする。

今年の10月で37歳。もう若くはない年齢になり、社会の第一線の立場に立っていられるのもあと12、3年。50歳にもなれば、否が応でも社会や会社、若い人たちから肩を叩かれます。100歳まで生きる社会になったとしても、やはり社会を創り出していくのは20代、30代の人たちであるべき。生物としての体力や感覚の衰えに勝つことは出来ません。

これまで培って来たものをさらに深める。2020年はそんな年にしたいと思います。