大先輩のような人になりたい。

先日、尊敬するコーヒーの大先輩から嬉しいメッセージを頂きました。

先月下旬に閉店した神保町の洋食屋さん「キッチン南海」。閉店間際に僕自身も何度か訪れた洋食屋さんですが、その際には僕もFacebookで投稿をさせて頂きました。

その尊敬するコーヒーの大先輩が、なんとその際の僕の投稿がきっかけとなり、滑り込みセーフでキッチン南海を訪れることが出来たそうなのです。

大先輩は学生時代によくキッチン南海に通われたとのことで、キッチン南海の洋食が本当に想い出深い味だったとのお話でした。大先輩がお店を訪れた際、ちょうどその日のランチが大先輩の順番で終了だったようです。

「陽さんありがとう!」と、そのことをお忙しい中わざわざメッセージを下さる大先輩のお姿に、逆に僕が感動をし、さすが大先輩。大先輩のような人にならないといけないな!と深く感じ入りました。

人から慕われたり人望のある方というのは、そうした少しの気遣いが出来る方なのだろうなと思います。
「わざわざそこまでしなくてもいいのに・・・」という積み重ねが(多くの人はそれが出来ないからこそ)、その人を慕い、その人を愛する方がたくさん出来るのだろうなと思います。

大先輩のあとを追いかけ、僕も頑張ります!
大先輩!メッセージありがとうございました!

寄り道

目的地のひとつ手前の駅で降りてみる。そして、そこから目的地の駅までてくてく歩いてみる。それだけで、もしかしたら人生は大きく変わるかもしれない。

結局人生は、新しい経験を、つまり新しいチャレンジをどれだけたくさん出来たか、ということであるように思う。毎日同じ道を通り、毎日同じ電車に乗り、毎日同じランチを食べ、毎日同じ音楽を聴き、毎日同じ雑誌を読む。これではなかなか正直進歩は見込めない。ちょっとしたことでもいいので、前の日とは違うことをしてみる。例えば昨日はコーラだったけど、今日はオランジーナ。例えば昨日は綾鷹だったけど、今日はお〜いお茶。そんなほんの小さなことでも何か新しい発見や気づきがあるかもしれない。ひょっとしたらそんな小さな発見が大きなアイデアのきっかけになることだってあるだろう。

何せ、世界は自分が知らないことばかりで成り立っている。人ひとりの短い人生の中で、全てを知り尽くすことなんて到底出来ないことだ。だからこそ、毎日違う街に行き、毎日違うものを食べ、毎日違う人に会い、毎日違う経験をする。人間は、放っておくとすぐに居心地のいいコンフォートゾーンに留まろうとする。意識的にそこから脱しなければ。

いつものカフェに行くのももちろんいいけれど、やっぱり知らない街の知らない人がやっている知らないカフェに行くってことはとっても大切。もしかしたら明日行く新しいカフェのオーナーは世界で一番あなたと相性が合う人かもしれないし、もしかしたら将来のお嫁さんや旦那さんかもしれない。あなたの口に合う1番のコーヒーに出会うかもしれない。もしかしたらあなたの人生を変えてしまうくらいのインパクトを与えてくれるかもしれない。人生は、いつだって可能性に満ち溢れている。

人生には、寄り道が必要だ。寄り道が新しいあなたを創る。さあ!明日も、大いなる寄り道をしよう!

写真は、ふっと目的地手前の湘南海岸公園駅で降りてみたら出会った、Goodman Coffeeさんのコーヒー。そしてバックにはThe 湘南な感じのサーファーさんおふたり♡

ジャングルを歩く

久しぶりに新宿の紀伊國屋に行った。 

紀伊國屋書店という書店は決して「おもしろい」本屋さんではないし、棚を眺めていても、そこに紀伊國屋書店としての個性や主張を見ることは出来ない。

例えば、ジュンク堂にはなんとなく“ジュンク堂の主張″があるし、蔦屋書店には″蔦谷らしさ″がある。

しかし、紀伊國屋という書店は日本各地のどの紀伊國屋に行ってもその主張というものがない。単に本が並べてあるだけである。

しかし、そこが紀伊國屋の魅力でもあり、おそらく意図的に紀伊國屋はそのようにしているのである。
憶測だが、勝手に書店側が本に色をつけることはせず、読者にその判断を委ねているのではないだろうか。あくまで書籍に対してフラットな中立的な立場でいようとしているのではないだらうか。

それにしても、やはり新宿紀伊國屋レベルの書店はすこぶる楽しい。まさに知識やエンタテインメントのジャングルを歩いているような気分であり、朝から晩まで丸一日過ごすことが出来る。

東京という街の知識・文化レベルの高さも窺い知れる。反面、地方と東京の文化格差も痛感し、文化的な部分での東京一極集中を思い知らされる。

東京一極集中を解消することはそう簡単な話ではないし、決してそのこと自体が非難されることでもない。
持つ者の所に物が集まるのは世の必然である。

どうだろう。地方でしか暮らしたことのないみなさん。長い人生の数年間、東京に住んでみるというのはいかがだろうか。その経験は決して無駄な経験にはならないように思う。

そして、東京でしか暮らしたことがない人は数年間、地方で暮らす経験をした方がいい。東京がいかに日本全体から見れば異常かが、よく分かるだろう。