【オリンピックの開催意義〜やはりそれは人類の結束〜】

今さらながら、オリンピックです。賛否両論ありますが、オリンピックについて思うところをつらつらと書き連ねたいと思います。

東京オリンピックの開会式、素晴らしい開会式でした。Newspicksでのコメントをはじめ、賞賛の声が多いようです。

「始まったからには応援しよう!」。開催以前には東京オリンピックに対して否定的な意見を持っていた人たちも、少なくとも開催期間だけは応援やポジティブな態度で接しようという態度に移っているようです。

個人的に想像を超えて好印象だったのは橋本聖子会長のスピーチでした。ご自身がアスリートであったという経験も踏まえた素晴らしいスピーチで、胸を熱くするものがありました。何よりも、久しぶりに彼女の心からの笑顔を見れたことは心をホッとさせてくれました。森喜朗前会長でも素晴らしいスピーチだったでしょうが、橋本聖子さんが会長に就き本当に良かったと、そう思わしてくれるスピーチでした。

開会式全体を通して感じる事ができた「多様性の尊重」や「人類の結束」、「平和であることの素晴らしさ」といったものは、やはりオリンピックだけが持つ特殊性であり、単なる「スポーツ競技の競技会」ではないんだということを改めて認識いたしました。各種ワールドカップや世界大会では表現出来ないものを体現する場。それがオリンピックなのだと思います。

「オリンピックに崇高さを求めるな」などという意見もたまに耳にしますが、私自身はどこまでも崇高さを求めていくのがオリンピックなのだと思います。

2021年のカープを考える。

今年も熱く燃えるプロ野球が始まった。

開幕してから3週間。対戦カードが一巡し、全チームとの対戦を終えた。

まずここまでのカープの戦い方を見て感じたこと。それは「今年は優勝できるんじゃねえか!?」ということである。久しぶりに感じたこの感じ。あの3連覇の時の雰囲気をチームに感じるのである。

「雰囲気」だけではなく、実際のゲームの中の結果から見て取れる「実績」もある。それは「終盤の安定性」だ。森浦、大道、栗林の、いわゆる「三本の矢」がそれである。特に栗林の安定感は素晴らしく、この状態が続けば新人王は疎か最多セーブのタイトルも見えてくる。

さて、今述べた「終盤の安定性」についてであるが、これは同時に「昨年の負け試合を今年は勝てている」ということでもある。

昨年のケースを考えてみよう。例えば7回の時点で2-0でカープがリードしているとする。そして満を辞してリリーフピッチャーを投入。ランナーを出しつつも何とか失点を抑え、9回はクローザーフランソアを投入!そして快勝!というはずだったが、実際はそうならなかったのである。何度、何十度終盤のリリーフピッチャーが失点をし敗戦を喫したことか。

しかし、しかしである。2021年のカープの戦いは、昨年と同じ「7回2-0」の状況でしっかりと勝てているのである。しかも大きなピンチを作ることもなく、スムーズに勝てているのである。昨年の負け試合を確実に勝利しているのである。

打線もつながりがよく、特に菊池の状態がいい。坂倉も頼もしく、強肩矢野の活躍も楽しみである。

大瀬良、森下もこのまま勝ち続ければ、あの3連覇の時のような甘い感動を再び味わえるような気がする。

今年こそは、今年こそは秋に満面の笑みで微笑みたい。

頼むぞ、カープ!