〜個人の経験がお金になる時代へ〜

日本のある大企業幹部が、「終身雇用を守るのは難しい」という発言を行った。それは結局「社としては終身雇用を行えない」「社としては終身雇用を保証することは出来ない」という意味と同じことだ。このことはこれまでの日本の組織慣例から考えるととんでもないことである。

しかし、よく考えれば(よく考えなくても)このことはある意味当然のことであり、正常な社会へ戻ることであるように思う。

いささか日本人は他者に依存しながら生きようとする傾向が強い国民であると私には見受けられるが、この「終身雇用制度」もまた、労働者側から見た場合「会社に依存している状態」と見ることが出来るように思う。

それは結局のところ、労働者側の「甘え」である。と同時にせっかくの自分自身の人生の時間を自ら放棄し、あらゆる可能性を閉ざしてしまったような状況だとも言える。20歳そこそこの社会経験もない状態で入った会社やあるいは職種に、40歳や50歳にもなってしがみつく必要なんて、全くない。

そのような慣習や構造が、ようやく壊れ始めようとしている。いや、もはや壊れているのだろう。

組織が個人を守ってくれなくなった反面、個人がしっかりしなくてはいけない時代になったとも言える。昭和の時代であれば文句を言わず黙々と会社に通っていれば自動的に給与が入ってきたが、これからの時代は自らの能力や自らの興味関心を伸ばしていかなければそう易々とお金を稼ぐことは出来なくなったのだ。

会社内で自らの能力を発揮し給与水準を上げていくことももちろんであるが、いわゆる会社外での収入や、社会・周囲の人への貢献をしていかなければ自らの生きる環境を作り出すことは難しい時代にますます入っていくように感じられる。いわゆる現代でいう「副業」である。むしろこれからの時代はこれまで「副」であったことが「主」になり、「副」であったものが「主」になるかもしれない。さらにいうと、そのような括り方そのものも消滅してしまう世の中になる可能性だってある。私自身は、そのような社会になればよいと心から思うが。いつの時代だって、人の生き方というものは自由なのだ。

そのように考えると、まだ珍しがられている傾向のあるYouTuberやインスタグラマー、ブロガーなどという職種は、これからの時代の働き方の大きなモデルを示している姿であるような気がする。昭和の時代であれば見向きもされなかった(本来は見向きもするほど価値のあることなのであるが)個人個人の毎日の経験や体験が、そっくりそのままお金になるのである。

ここで重要なことは、その人自身の「好きなこと」や「得意なこと」、「興味のあること」が「収入にそのまま結びつく」ということである。

語弊があるとは思うが、「工場の中でお弁当にお醤油を入れる仕事」というものは、本質的な部分においてその人自身の個性や能力、興味関心が反映されている仕事だとは正直言いづらい。

人間という存在を価値ある存在だと認識し、その人自身の個性や能力を発揮させ、向上させていくことが重要だと考える方がより豊かな社会になると考えた場合(そこの価値観が最初からズレていれば両者が折り合うにはさらに時間が掛かるであろうが)、さきほど挙げたようないわゆる“作業”に該当するような仕事はAIに任せるべきである。

これまでの社会においてはもちろん「お弁当にお醤油を入れる仕事」は必要であっただろう。しかし、高度な頭脳を持ったわれわれ人類の先輩たちや仲間がその頭脳を駆使し、ロボットを作ってくれた。その能力を我々はフルに使っていく時代に突入しており、そしてそれによって生まれた時間や可能性を、その人自らの可能性に使っていく時代に突入しているように思われる。

「AIの時代」とはつまりそういうことであり、その重要性や必要性を主張している人たちの本質的な意味は、そのような所にあるのではないかと思う。

隷属的な生き方ではなく自立した生き方の時代へ。

より人類は自らが生きやすい時代へ進んでいるように思われる。100年後、200年後を生きる仲間たちが私たちを“歴史的に”見た場合、令和を迎えた現代はエポックメイキングな時代であったと、そう見えるのかもしれない。まさに現代は「進化」の時代である。

テレワークで会社が回るなら、もうずっとそれでいいじゃない?(って多分多くの人が思ってる)

テレワークや時差出勤で会社が、あるいは仕事が回るなら、もうずーっとこれからそれでいいじゃない?って思います。それで仕事が回るのに、なんで会社行かなきゃならない?古臭いおじさんが「オレの見えないところで何してるかわからん!」とかいう実にしょーもない理由がその理由じゃ、まさかないでしょう?別にあなたのために仕事してる訳じゃありませんよ?それに「態度」が仕事の質やあるいは勤務評価に繋がることそのことが化石時代ですか?って話です。

都会の満員電車も、無駄な通勤時間も、無駄な交通費も、無駄な早起きも、無駄なストレスも、全てなくなります。

強制的な働き方改革。こういう非常事態時だからこそ、新しい時代の新たな形が生まれるのだと思います。

明治維新も(正確には維新前夜の江戸末期)、第二次大戦直後も、とてつもない非常事態でした。ですが、そこから極めて多くの新しい形やアイデアが生まれました。

明治維新を否定し侍を存続させることが最善策ですか?敗戦を否定し全国民を無駄死にさせること(本土決戦)や旧天皇制を維持することが最善策ですか?

どんな時代も必ず抵抗勢力や既得権益にしがみつく人がいます。しかし、その人たちは早番死滅します。

「適応能力がある生きものが生き残る」。
ダーウィンがこのようなことを言い遺していますが、まさにその通りだと思います。

コロナはいつか必ず収束を迎え、人類の敵ではなくなります。しかし、私たちの生活はその後もずっと続きます。日常は、いずれ必ず戻ってくるのです。

その時どのようなスタイルで、どのような気持ちで生きるのか。どのような気持ちで自分自身の人生に向き合うのか。今まさにそういうことを考えることが求められているのだと思います。

もしかしたら、世界を巻き込んだコロナ騒動は、神様からの温かい、でもちょっと厳しいプレゼントかもしれません。人類よ、もっと高い位置に来い。