〜美味しいコーヒーを求めて〜

今日のメイン。
ミカフェート銀座店へ。
今日は、エルサルバドル・アントニエタ農園
カシータ ナチュラルを頂きました。
川島さんが「ようやく巡り会えた」という、マラゴジッペ種のコーヒーです。

高級ホテルのコンシェルジュのような、本当に素晴らしいサービスをして下さる店長様のご説明のもと、
極上の素晴らしい時間を。

私からの質問などにも大変ご丁寧に詳しく説明して下さり、コーヒーへの熱いパッション、さらにはミカフェートが手掛けているコーヒー事業への熱い想いを店長様から感じさせて頂くことが出来ました。

様々なコーヒーを楽しむために、ぜひまた訪れたいと思います。
コーヒーファンの方もそうでない方も、ぜひ一度訪れてみて下さい。店内は銀座らしい高級感に包まれ、静かな環境の中で非常に落ち着いた素晴らしい時間を過ごせることと思います。

大先輩のような人になりたい。

先日、尊敬するコーヒーの大先輩から嬉しいメッセージを頂きました。

先月下旬に閉店した神保町の洋食屋さん「キッチン南海」。閉店間際に僕自身も何度か訪れた洋食屋さんですが、その際には僕もFacebookで投稿をさせて頂きました。

その尊敬するコーヒーの大先輩が、なんとその際の僕の投稿がきっかけとなり、滑り込みセーフでキッチン南海を訪れることが出来たそうなのです。

大先輩は学生時代によくキッチン南海に通われたとのことで、キッチン南海の洋食が本当に想い出深い味だったとのお話でした。大先輩がお店を訪れた際、ちょうどその日のランチが大先輩の順番で終了だったようです。

「陽さんありがとう!」と、そのことをお忙しい中わざわざメッセージを下さる大先輩のお姿に、逆に僕が感動をし、さすが大先輩。大先輩のような人にならないといけないな!と深く感じ入りました。

人から慕われたり人望のある方というのは、そうした少しの気遣いが出来る方なのだろうなと思います。
「わざわざそこまでしなくてもいいのに・・・」という積み重ねが(多くの人はそれが出来ないからこそ)、その人を慕い、その人を愛する方がたくさん出来るのだろうなと思います。

大先輩のあとを追いかけ、僕も頑張ります!
大先輩!メッセージありがとうございました!

寄り道

目的地のひとつ手前の駅で降りてみる。そして、そこから目的地の駅までてくてく歩いてみる。それだけで、もしかしたら人生は大きく変わるかもしれない。

結局人生は、新しい経験を、つまり新しいチャレンジをどれだけたくさん出来たか、ということであるように思う。毎日同じ道を通り、毎日同じ電車に乗り、毎日同じランチを食べ、毎日同じ音楽を聴き、毎日同じ雑誌を読む。これではなかなか正直進歩は見込めない。ちょっとしたことでもいいので、前の日とは違うことをしてみる。例えば昨日はコーラだったけど、今日はオランジーナ。例えば昨日は綾鷹だったけど、今日はお〜いお茶。そんなほんの小さなことでも何か新しい発見や気づきがあるかもしれない。ひょっとしたらそんな小さな発見が大きなアイデアのきっかけになることだってあるだろう。

何せ、世界は自分が知らないことばかりで成り立っている。人ひとりの短い人生の中で、全てを知り尽くすことなんて到底出来ないことだ。だからこそ、毎日違う街に行き、毎日違うものを食べ、毎日違う人に会い、毎日違う経験をする。人間は、放っておくとすぐに居心地のいいコンフォートゾーンに留まろうとする。意識的にそこから脱しなければ。

いつものカフェに行くのももちろんいいけれど、やっぱり知らない街の知らない人がやっている知らないカフェに行くってことはとっても大切。もしかしたら明日行く新しいカフェのオーナーは世界で一番あなたと相性が合う人かもしれないし、もしかしたら将来のお嫁さんや旦那さんかもしれない。あなたの口に合う1番のコーヒーに出会うかもしれない。もしかしたらあなたの人生を変えてしまうくらいのインパクトを与えてくれるかもしれない。人生は、いつだって可能性に満ち溢れている。

人生には、寄り道が必要だ。寄り道が新しいあなたを創る。さあ!明日も、大いなる寄り道をしよう!

写真は、ふっと目的地手前の湘南海岸公園駅で降りてみたら出会った、Goodman Coffeeさんのコーヒー。そしてバックにはThe 湘南な感じのサーファーさんおふたり♡

ジャングルを歩く

久しぶりに新宿の紀伊國屋に行った。 

紀伊國屋書店という書店は決して「おもしろい」本屋さんではないし、棚を眺めていても、そこに紀伊國屋書店としての個性や主張を見ることは出来ない。

例えば、ジュンク堂にはなんとなく“ジュンク堂の主張″があるし、蔦屋書店には″蔦谷らしさ″がある。

しかし、紀伊國屋という書店は日本各地のどの紀伊國屋に行ってもその主張というものがない。単に本が並べてあるだけである。

しかし、そこが紀伊國屋の魅力でもあり、おそらく意図的に紀伊國屋はそのようにしているのである。
憶測だが、勝手に書店側が本に色をつけることはせず、読者にその判断を委ねているのではないだろうか。あくまで書籍に対してフラットな中立的な立場でいようとしているのではないだらうか。

それにしても、やはり新宿紀伊國屋レベルの書店はすこぶる楽しい。まさに知識やエンタテインメントのジャングルを歩いているような気分であり、朝から晩まで丸一日過ごすことが出来る。

東京という街の知識・文化レベルの高さも窺い知れる。反面、地方と東京の文化格差も痛感し、文化的な部分での東京一極集中を思い知らされる。

東京一極集中を解消することはそう簡単な話ではないし、決してそのこと自体が非難されることでもない。
持つ者の所に物が集まるのは世の必然である。

どうだろう。地方でしか暮らしたことのないみなさん。長い人生の数年間、東京に住んでみるというのはいかがだろうか。その経験は決して無駄な経験にはならないように思う。

そして、東京でしか暮らしたことがない人は数年間、地方で暮らす経験をした方がいい。東京がいかに日本全体から見れば異常かが、よく分かるだろう。

神保町の雄、キッチン南海閉店へ。

今日の夜は、神保町のキッチン南海へ。

昭和41年創業の東京を代表する老舗店のひとつです。
まもなく閉店を迎えます。

予想していた通り、お店前には閉店を惜しむ多くの方々が行列。それでも30〜40分で入店出来たので良かったです。

今日のオーダーはカツカレー。
日本の洋食文化は、もはや本来の洋食とは似て非なる、世界に誇るべき「洋食」というひとつの文化だと思います。

自国民ながら、日本人のアレンジ力って、本当に本当に素晴らしいのではないかと思います。

閉店まで毎日通おうかと、それぐらいの勢いで考えております。ご一緒して下さる方も募集しておりますので、我こそは!という方がいらっしゃったらご一報下さい。

昭和41年創業の大人気店のカレーやコロッケ、食べてみたくありませんか?

当店でも一番人気のカツカレー。

〜Series 日本のバリスタ達〜

後ろ姿の彼女が、今日のメインのバリスタさん。

独立されるとのことでこのお店をご卒業された彼女ですが、この日は仲の良かった方々としばし談笑中。

単にスタッフと顧客、という関係ではなく、しっかりとした人間的な関係を築くことが出来るバリスタさんが、やっぱりいいバリスタさんだなあと思います。
スタッフと顧客、という一線をどれだけ多くの人と越えられるか。

お金ありきの客商売をしていたお店が立ち行かなくなったコロナショック。

アフターコロナの時代も生き残るお店は、やはり人情深い血の通ったお店だと思います。

WEB販売ももちろん大切ですが、その前に人間関係あってのWEB販売です。

〜個人の経験がお金になる時代へ〜

日本のある大企業幹部が、「終身雇用を守るのは難しい」という発言を行った。それは結局「社としては終身雇用を行えない」「社としては終身雇用を保証することは出来ない」という意味と同じことだ。このことはこれまでの日本の組織慣例から考えるととんでもないことである。

しかし、よく考えれば(よく考えなくても)このことはある意味当然のことであり、正常な社会へ戻ることであるように思う。

いささか日本人は他者に依存しながら生きようとする傾向が強い国民であると私には見受けられるが、この「終身雇用制度」もまた、労働者側から見た場合「会社に依存している状態」と見ることが出来るように思う。

それは結局のところ、労働者側の「甘え」である。と同時にせっかくの自分自身の人生の時間を自ら放棄し、あらゆる可能性を閉ざしてしまったような状況だとも言える。20歳そこそこの社会経験もない状態で入った会社やあるいは職種に、40歳や50歳にもなってしがみつく必要なんて、全くない。

そのような慣習や構造が、ようやく壊れ始めようとしている。いや、もはや壊れているのだろう。

組織が個人を守ってくれなくなった反面、個人がしっかりしなくてはいけない時代になったとも言える。昭和の時代であれば文句を言わず黙々と会社に通っていれば自動的に給与が入ってきたが、これからの時代は自らの能力や自らの興味関心を伸ばしていかなければそう易々とお金を稼ぐことは出来なくなったのだ。

会社内で自らの能力を発揮し給与水準を上げていくことももちろんであるが、いわゆる会社外での収入や、社会・周囲の人への貢献をしていかなければ自らの生きる環境を作り出すことは難しい時代にますます入っていくように感じられる。いわゆる現代でいう「副業」である。むしろこれからの時代はこれまで「副」であったことが「主」になり、「副」であったものが「主」になるかもしれない。さらにいうと、そのような括り方そのものも消滅してしまう世の中になる可能性だってある。私自身は、そのような社会になればよいと心から思うが。いつの時代だって、人の生き方というものは自由なのだ。

そのように考えると、まだ珍しがられている傾向のあるYouTuberやインスタグラマー、ブロガーなどという職種は、これからの時代の働き方の大きなモデルを示している姿であるような気がする。昭和の時代であれば見向きもされなかった(本来は見向きもするほど価値のあることなのであるが)個人個人の毎日の経験や体験が、そっくりそのままお金になるのである。

ここで重要なことは、その人自身の「好きなこと」や「得意なこと」、「興味のあること」が「収入にそのまま結びつく」ということである。

語弊があるとは思うが、「工場の中でお弁当にお醤油を入れる仕事」というものは、本質的な部分においてその人自身の個性や能力、興味関心が反映されている仕事だとは正直言いづらい。

人間という存在を価値ある存在だと認識し、その人自身の個性や能力を発揮させ、向上させていくことが重要だと考える方がより豊かな社会になると考えた場合(そこの価値観が最初からズレていれば両者が折り合うにはさらに時間が掛かるであろうが)、さきほど挙げたようないわゆる“作業”に該当するような仕事はAIに任せるべきである。

これまでの社会においてはもちろん「お弁当にお醤油を入れる仕事」は必要であっただろう。しかし、高度な頭脳を持ったわれわれ人類の先輩たちや仲間がその頭脳を駆使し、ロボットを作ってくれた。その能力を我々はフルに使っていく時代に突入しており、そしてそれによって生まれた時間や可能性を、その人自らの可能性に使っていく時代に突入しているように思われる。

「AIの時代」とはつまりそういうことであり、その重要性や必要性を主張している人たちの本質的な意味は、そのような所にあるのではないかと思う。

隷属的な生き方ではなく自立した生き方の時代へ。

より人類は自らが生きやすい時代へ進んでいるように思われる。100年後、200年後を生きる仲間たちが私たちを“歴史的に”見た場合、令和を迎えた現代はエポックメイキングな時代であったと、そう見えるのかもしれない。まさに現代は「進化」の時代である。

ますます強まる個人時代に備えて〜会社への依存体質から抜け出そう〜

https://www.youtube.com/watch?v=uLmmCrrcRLE&feature=share

 

おうち時間が増えて、こういうことを考える方も増えたと思います。

会社だけのお給料一本だけで生きていくことはリスクのある時代になりました。会社からのお給料を大きな軸に、そしてそのほかの軸からもお金の流れのある生き方。そんな生き方が望ましい世の中の流れです。

ブログだけ、あるいはYouTubeだけで生きて行こうと思ったら、それは芸能人になるようなお話です。

そうではなく、月に3万円ぐらいの収入が副収入であったなら。
単身者であればそれなりなプラスになるでしょう。
家庭のある方でもお子さんの教育費のプラスになるぐらいの金額でしょうし、いつもよりランクの高いお洋服や化粧品が手に入るかもしれません。

3万円稼げるようになれば、5万円、10万円は決して夢ではありません。しかも発信する内容は自分が好きなことがベース。モチベーションも維持しやすいですし、継続して発信していくことが可能です。

時間は多少かかるでしょう。でもこれからはあなた自身の能力や考えていることが多くの人に必要とされる時代ですし、それがお金に変わる時代です。

ぜひあなたも、あなた自身を世界に発信してみてください。

〜共に食事を楽しみ、共にお茶を楽しむことの重要性〜

日本は、そして世界は、まさに非常事態な真っ只中にいる。

人は自由を奪われ、友や家族にさえ会うことすら躊躇する。

こんな非常事態だからこそ、これまで何も疑問を持たず、当たり前のように営んできた事柄が、本当はとてもありがたかったのだと、再認識している。

人にとって、共に食事を楽しむことがどれだけ大切なことなのか。共にお茶を楽しむことがどれだけ大切なことなのか。

確かに、毎日朝起きて職場に行き仕事をし、夜自宅に帰りお風呂に入り就寝する。人が単に生きていくだけであればこの繰り返しで命は繋いで行けるだろう。

だがしかし、そんな人生を誰も望んではいない。

共に食事を楽しみ、共にお茶を楽しむことで生きる楽しさを見つけ、明日からまた頑張ろうと思える。むしろ、そういった時間があるからこそ人生という時間を過ごして行ける。

行きたいお店にも行けず、会いたい人にも会えず、行きたい場所にも行けない不自由さ。

コロナウイルスは確かに厄介過ぎる問題を人類にもたらしたが、反面人の人生にとって何が大切かを再認識させてくれる貴重な存在でもあるのかもしれない。

いや、絶対にそのような存在にさせなければ、今起きている問題は、本当に無駄な徒労に終わってしまう。

今回の問題を出発とし、新たな道を歩み出さなければならないような気がする。

【4月はカフェ訪問を自粛します】

わざわざこの場で言わなくてもいいかもしれませんが、コロナウイルス感染拡大防止の観点から、4月は一切のカフェ訪問を自粛します。少なくとも、まずは4月いっぱい。日本の状況を見ながら、5月いっぱいや6月いっぱいに延びるかもしれません。
5月や6月にカフェに行けるようにするためにも、今の自粛が必要だと思います。

ちょっとした油断が、第二の志村けんさんを生みます。第二の志村けんさんが、もしかしたらみなさんのおじいさんやおばあさんかもしれませんし、最近の事例を見ているとみなさんの愛する息子さんや娘さんかもしれません。

感染し、重症化すれば、すぐです。

命さえあれば何年後でも何十年後でもお酒やコーヒーは楽しめます。目黒区長の言葉ではありませんが、目黒川の桜は来年も咲きます。

一時の欲望が取り返しのつかない事態を生む。
今は皆がそのような認識を持つべきでしょう。