新型コロナウイルスに感染しました【最終章】

【現状の日本で我々が出来ること】
とは言え、自宅療養の手段を取らざるを得ない状況は、新型コロナウイルス感染症が依然極めて深刻な状況にあり、我々の生命や日常生活を脅かす極めて脅威となる感染症であることの証明でもあります。

病床の不足、コロナ対応可能な医師看護師の不足、必要な医療器具の不足、離島・へき地の医療体制の脆弱性などの問題がありますが、それら日本の医療を逼迫させている現状を解決して行くために、では我々が出来ることは一体何なのでしょうか?

それはやはり「自分自身が新型コロナウイルスに感染しないこと」しかないのだと思います。

それはつまり、いわゆる人流抑制策を我々自身が”主体的に”行なって行くしか方法はないということです。端的に言うと、「人に会わない」ということ。

極力人には会わない、極力外食は控える、極力街中には出ない等のいわゆる人流抑制策しか、我々が感染者数を減らすための行動として出来ることはないのではないでしょうか。

「政府がしっかりと対策を講じないのが悪いのだ」という問題と、「だから俺は政府が求める行動には応じない」という態度は、本来全く別の問題であり、理論が崩壊している態度です。

「政府がしっかりと対策を講じない」と感じていたとしても、「自分が感染したり他の人に感染させないために行動を抑制する」というのが本来のあり方ではないでしょうか。

感染者数は比較にならないほど昨年より増えているのに、どうも最近の風潮は「何でもかんでも政府のせいにして、それを理由に自身の行動を緩めている」方が増えているような気がします。

もし「政府や政治家の対策が悪い」というのであれば、それを変える絶好の機会(衆議院選挙)が今年の11月末までに必ずやって来ます。政治家を選んでいるのは我々です。「政治家が悪い」と言うことは、つまり「自分が悪い」と言っていることと同じです。人のせいにしている限り、自分の人生や社会が変わることはないでしょう。

困窮する飲食店や旅行会社、生活に困っている人たちに手厚い保護を行なうことが必要だと考えるなら、それを政策に掲げる政党や候補者に投票すればいいだけの話です(僕自身がそのような政策を支持しているという意味ではありません)。

【最後に】
「緊急事態宣言ってもう飽きたよね」っていう言葉や認識は、やはり認識としては甘いのだと思います。

政府が発出している通り、
「現在の日本は緊急事態にある」。
これが正しい認識ではないでしょうか。

1日も早く新型コロナウイルス感染症が終息することを切に願います。

みなさん、最後になりますが、もう一度。
本当に新型コロナウイルスの感染には気をつけて下さいね。しんどい思いをするのは自分自身です。

新型コロナウイルスに感染しました【第四部】

【宿泊療養施設退所後】
一定の基準を満たしているため宿泊療養施設を退所することは出来ましたが(退所にあたりPCR検査を再度受診する必要はありませんでした)、体調自体は退所日当日でもすこぶる悪く、石垣島のフェリーターミナルへ歩いて向かうのも非常にしんどかったです。「コロナ感染が疑われる場合は公共交通機関を利用してはいけない」となっていますが(感染防止のためそれは確かに正しいのですが)、正直自力で病院まで行けというのはかなり酷な気がします。

石垣島の宿泊療養施設から西表島の自宅に戻ったあとも、帰宅後数日はまだまだ1日中ベッドの上。リハビリを兼ねて自宅の周りを30分くらい散歩しましたが、すぐに息が切れ、体はしんどさで一杯。自分でもびっくりするぐらい体力が落ちていました。

結局、発症から完全に体調が回復するまでには3週間ほどの時間を要しました。

【感染経路】
僕がどこで感染し、誰から感染したのかは全くもって不明です。僕の周囲には誰も発症者はいません。

西表島島内から陽性の方が何人か出ているため、その方々から感染した可能性はありますが、その場合どのような経路で感染したのかは分かりません。

無症状感染の方からウイルスを貰った可能性もありますが、一方の人は無症状で終わり、他方の人は有症状はなるその差は何なのでしょうか?やはりその人個人のその当時の免疫力や体力の低下が原因なのでしょうか?

【解決すべき問題】
僕自身が新型コロナウイルスに感染し、実感として感じた問題。それはやはり自宅療養者の方々の対処の問題、そのように感じます。つまり、さらなる医療体制の整備が絶対的に必要であるということです。

「非常にしんどかった」と自分自身の症状について実感としては感じますが、客観的に見ると僕自身の症状はおそらくまだマシな方なのだと思います。宿泊療養施設に入所出来ただけでも有り難いことなのでしょう。

テレビなどの報道を見ると、本当に悲惨な状態で自宅療養を強いられている方が数多くいらっしゃいます。
僕自身が自宅で1日中苦しんでいた時のことを想像すると、そのような方を拝見する度に胸が痛みます。

そもそも「自宅療養」とは名ばかりで、実態は「放置」と言ってよい状態でしょう。医学の素人である我々に自宅で「療養」など出来るはずがありません。

近くにお医者様や看護師さんがいない、つまり病状が急変してもすぐに対応して貰えないという状況も患者にとっては非常に精神的にきつい状態です。僕自身も実際にそうでした。真っ暗で静かな真夜中に目が覚め、ただでさえ精神的にも肉体的に弱っている状態で「急変し呼吸困難になったらどうしよう・・・」という恐怖を覚えることは実に堪え難いものがあります。

現状の医療体制では全ての発症者に満足の行く対応は出来ないということは十分分かりますが、少なくとも自宅療養という手段(個人的には医療の放棄だと思います)だけはその対応方法から完全に無くして欲しいように思います。

新型コロナウイルスに感染しました【第三部】

【新型コロナウイルス陽性判明】
そのような流れで石垣島に渡り、石垣島の病院でドライブスルー型PCR検査を受診。僕の場合は「医師が新型コロナウイルスの可能性があると判断した場合のPCR検査」というものに分類されるようでした。

PCR検査受診後は検査結果が判明するまで竹富町が用意して下さった宿泊療養施設で待機することに。食事や飲み物は竹富町の方が僕の希望したものを希望通りに用意して下さいました(費用は全て公費負担。陽性判明以前だったので竹富町が負担して下さったのだと思います。困ったことや必要なものがあれば何でも言って下さいと仰って下さり、非常に優しい対応をして下さいました)

そして検査から4時間後、新型コロナウイルスの陽性が判明しました。

陽性判明後は保健所の方と複数回電話。濃厚接触者の特定作業や僕自身の行動追跡作業などが行われました。

【病院受診〜宿泊療養施設へ】
陽性が判明した翌日、PCR検査を受診した別の病院を受診。受診の結果「軽症」と診断され、前日に宿泊した施設とは別の宿泊療養施設(沖縄県がコロナ対応のため借り上げた「アパホテル石垣島」)に入ることになりました。ちなみに、「軽症」という分類にはなりますが、僕個人の体感としては全く「軽症」ではありません。その語感に惑わされない方が賢明かと思います。

宿泊療養施設では1日3回の体調報告を保健所に行ない、1日1回は必ず看護師さんとのテレビ電話での体調確認が実施されました。オキシメーター(酸素濃度計)での酸素濃度確認も1日3回は必ず報告。酸素濃度が非常に気になり不安になるため、実際には24時間時間を問わず何度も自分で確認しました。

宿泊療養施設に入所したのは発症から1週間経過した頃。症状は依然38℃台の発熱があり、全身の倦怠感や筋肉の痛みは全く引きません。高熱の状態が1週間続き、また食欲絶不振のため体力も低下。上半身・下半身の筋肉や脂肪がげっそり落ちてしまいました。

【宿泊療養施設退所】
宿泊療養施設に入り2日後、ようやく発熱は落ち着きを見せ始め37.5℃〜37℃台前半ぐらいまで下降。その後37℃〜36.5℃ぐらいの間で安定するようになり、「療養所退所基準となる体温が72時間連続で維持」され、かつ「発症から10日以上経過」したため宿泊療養施設を退所する判断と隔離解除の判断が保健所から下りました。
結局、宿泊療養施設には5日間入所していました。

新型コロナウイルスに感染しました【第二部】

【西表島で初診を受診】
そんな心境の中初診を受診しましたが、「もう数日様子をみてみましょう。あと数日発熱が続くようでしたら連絡を下さい」とのお話になり、その日は解熱剤を処方されただけで帰宅。(これは①PCR検査は石垣島でしか受けられない②さらに石垣島でPCR検査を実施している病院は平日しか検査を行なっていない(僕自身は金曜日に初診を受診)という西表島特有の事情もあったためで(西表島だけではなく八重山諸島全体の問題でもあり、また全国の離島における問題でもあります)、初診の先生や病院に不作為があったという訳ではありません。初診の先生は非常に熱心に対応をして下さり、本当に熱心に体調を気遣って下さいました)

週が明けた月曜日、高熱が下がらず体の倦怠感や痛みも治まらないため、その旨を初診の病院に連絡。体の状態を伝えると「すぐにPCR検査を受けましょう」となり、その日の内に石垣島でPCR検査を受診するという流れになりました。

【PCR検査などの手配に関し】
PCR検査の手配や竹富町への連絡は全て西表島の初診の先生が行なって下さり、また西表島から石垣島へのフェリー会社への連絡も竹富町の方が連絡をして下さいました(発熱があると本来は乗船出来ません。他のお客様と接することのない隔離された部屋に乗船させて下さいました)。
さらに、石垣島のフェリーターミナルからPCR検査の受診病院までは竹富町の方が車で送って下さり、手厚く対応をして下さり大変感謝をしております。

ただ、自宅から西表島の港までは自力で歩いて行かなければならず、徒歩30分の距離を体調絶不調の中、しかも気温が高い中歩いて行かなければならない状況はなかなか死ぬ思いでした。

新型コロナウイルスに感染しました【第一部】

私ごとですが8月の中旬に新型コロナウイルスに感染を致しました。

まずひとこと。
新型コロナウイルスに感染すると、本当に本当にしんどいので、みなさんくれぐれも感染にはお気をつけ下さい。

これまで大きな病気をしたり、風邪もほとんど引かなかったということはありますが、人生でいちばんしんどい思いを今回致しました。

長くなりますが、みなさんにとって何らかの参考になれば、また周囲の方に新型コロナウイルスの恐ろしさを伝えなければならないという半ば義務感のもと、こちらに詳細を記します。

【発症症状】
発症後の症状としては、38℃台の発熱が10日間ほど続き、全身の倦怠感、筋肉の痛み(特に腕と太もも付近)、吐き気といったものがありました。発熱は最高で38.9℃でしたが、解熱剤を飲まなければ下がりませんでした。高熱を出す日が連続して何日も続いたため、中等症へ移行し肺炎を発症させる可能性があることを先生に伝えられましたが、幸い肺炎は発症させずには済みました。

よく言われる嗅覚や味覚の異常、せき、頭痛、鼻水などの症状は全くなく、新型コロナウイルスに感染しても、発症する症状やその程度は人それぞれのようです。

【新型コロナウイルス陽性判明以前】
発症初日や2日目はまさかコロナ感染とは思わず、冷房病(昔から冷房に弱いため)や自律神経の乱れ、あるいは夏風邪だろうかと、そんな風に考えていました。そのため、発症後数日は自宅で体調の様子をみていました。(これは完全な失敗で発熱当日にすぐ島の診療所に連絡をすべきでした)

さすがに高熱が続くため、西表島の診療所に発熱がある旨や症状を電話連絡。(ちなみに西表島に病院はなく、医師一人看護師一人事務員一人の小さい診療所が2つあるだけです。全く医療施設がない離島も八重山諸島内にはあり(全国には数多くの同様な離島・へき地が存在するのでしょう)、近くに病院があるということは非常にありがたいことだと実感しました)

この頃になるとコロナ感染の可能性も自分の中で考え始め、「もしかしたら命を失うこともあるかもしれない」と、命の覚悟も致しました。命の覚悟を本当の意味でしたのは人生で初めてです。

続きは、第二部に綴ります。

長文をお読み頂き、ありがとうございました。

〜共に食事を楽しみ、共にお茶を楽しむことの重要性〜

日本は、そして世界は、まさに非常事態な真っ只中にいる。

人は自由を奪われ、友や家族にさえ会うことすら躊躇する。

こんな非常事態だからこそ、これまで何も疑問を持たず、当たり前のように営んできた事柄が、本当はとてもありがたかったのだと、再認識している。

人にとって、共に食事を楽しむことがどれだけ大切なことなのか。共にお茶を楽しむことがどれだけ大切なことなのか。

確かに、毎日朝起きて職場に行き仕事をし、夜自宅に帰りお風呂に入り就寝する。人が単に生きていくだけであればこの繰り返しで命は繋いで行けるだろう。

だがしかし、そんな人生を誰も望んではいない。

共に食事を楽しみ、共にお茶を楽しむことで生きる楽しさを見つけ、明日からまた頑張ろうと思える。むしろ、そういった時間があるからこそ人生という時間を過ごして行ける。

行きたいお店にも行けず、会いたい人にも会えず、行きたい場所にも行けない不自由さ。

コロナウイルスは確かに厄介過ぎる問題を人類にもたらしたが、反面人の人生にとって何が大切かを再認識させてくれる貴重な存在でもあるのかもしれない。

いや、絶対にそのような存在にさせなければ、今起きている問題は、本当に無駄な徒労に終わってしまう。

今回の問題を出発とし、新たな道を歩み出さなければならないような気がする。

【4月はカフェ訪問を自粛します】

わざわざこの場で言わなくてもいいかもしれませんが、コロナウイルス感染拡大防止の観点から、4月は一切のカフェ訪問を自粛します。少なくとも、まずは4月いっぱい。日本の状況を見ながら、5月いっぱいや6月いっぱいに延びるかもしれません。
5月や6月にカフェに行けるようにするためにも、今の自粛が必要だと思います。

ちょっとした油断が、第二の志村けんさんを生みます。第二の志村けんさんが、もしかしたらみなさんのおじいさんやおばあさんかもしれませんし、最近の事例を見ているとみなさんの愛する息子さんや娘さんかもしれません。

感染し、重症化すれば、すぐです。

命さえあれば何年後でも何十年後でもお酒やコーヒーは楽しめます。目黒区長の言葉ではありませんが、目黒川の桜は来年も咲きます。

一時の欲望が取り返しのつかない事態を生む。
今は皆がそのような認識を持つべきでしょう。

テレワークで会社が回るなら、もうずっとそれでいいじゃない?(って多分多くの人が思ってる)

テレワークや時差出勤で会社が、あるいは仕事が回るなら、もうずーっとこれからそれでいいじゃない?って思います。それで仕事が回るのに、なんで会社行かなきゃならない?古臭いおじさんが「オレの見えないところで何してるかわからん!」とかいう実にしょーもない理由がその理由じゃ、まさかないでしょう?別にあなたのために仕事してる訳じゃありませんよ?それに「態度」が仕事の質やあるいは勤務評価に繋がることそのことが化石時代ですか?って話です。

都会の満員電車も、無駄な通勤時間も、無駄な交通費も、無駄な早起きも、無駄なストレスも、全てなくなります。

強制的な働き方改革。こういう非常事態時だからこそ、新しい時代の新たな形が生まれるのだと思います。

明治維新も(正確には維新前夜の江戸末期)、第二次大戦直後も、とてつもない非常事態でした。ですが、そこから極めて多くの新しい形やアイデアが生まれました。

明治維新を否定し侍を存続させることが最善策ですか?敗戦を否定し全国民を無駄死にさせること(本土決戦)や旧天皇制を維持することが最善策ですか?

どんな時代も必ず抵抗勢力や既得権益にしがみつく人がいます。しかし、その人たちは早番死滅します。

「適応能力がある生きものが生き残る」。
ダーウィンがこのようなことを言い遺していますが、まさにその通りだと思います。

コロナはいつか必ず収束を迎え、人類の敵ではなくなります。しかし、私たちの生活はその後もずっと続きます。日常は、いずれ必ず戻ってくるのです。

その時どのようなスタイルで、どのような気持ちで生きるのか。どのような気持ちで自分自身の人生に向き合うのか。今まさにそういうことを考えることが求められているのだと思います。

もしかしたら、世界を巻き込んだコロナ騒動は、神様からの温かい、でもちょっと厳しいプレゼントかもしれません。人類よ、もっと高い位置に来い。

〜新型コロナウイルス〜世界各国の対応から考える


コロナウイルスの感染防止策に関し、先週から世界各国の動きが極めて活発になって来た。欧州各国は極めて強い措置を実施し、ニューヨークでも外食禁止令が発令されている。

比較対象として日本を見てみると、欧州やNY等までの強い措置はまだ実施されていない。緊急事態宣言発令の可能性は依然残されているが、現状では国内の経済活動を考慮した上での判断が採用されている。安倍総理の頭の中は、世界各国の判断やトランプ大統領の発言・判断など様々なことを考慮した上での最適なバランスを取ることで支配されているだろう。

個人的な感想としては、世界の先進諸国が封鎖措置や経済活動を止める措置を実施している中において、いわば外圧的な判断としてより強い自粛要請を安倍総理が行うのではないかと見ている。「日本だけ何もしていない」という状況を作り出すことは、今後の国際情勢において得策ではないだろう。

さて、世界各国の対応を見ていると、「生きていく上において何を大切に考えているか」という点に関しての考え方が垣間見える気がする。

端的に言うと、「世界各国は命や人生を」、「日本はお金を」ということである。

世界、特に欧州と米国の歴史を見てみると個人の人権や自由、つまり「公的な価値よりも個々人の人生や家族、生活」を東洋諸国よりもより意識して生きるよう努力した経緯がある。”だからこそ”公権力を発動し、経済的活動を極めて強く制限し国民一人ひとりの命を守ろうとする。

反面、日本という国は良くも悪くも個々人の収入や企業の収益に”配慮”し、強い経済的制限を掛けようとしない。言わば国民一人ひとりの命を守ることよりも経済活動の方が優先順位が高いということである。「経済活動こそ命につながる」という意見もよく分かるが、感染が不必要に広がり無駄な死者や重篤者を出さない方が国民の命を守る政府としては必要な政策であるように思う。

自分自身の収入が途絶えることや減ることはある意味自己責任であるし、それを政府の責任や会社の責任にすることは容易な責任転嫁であるように思える。

自由主義社会であるからこそ、政府は強力な権力を行使し経済活動の制限を掛けるべきであろう。

今日もお読み頂き、ありがとうこざいました。みなさまの人生が、より充実したものになりますように。